夏の終わり、蝉の鳴き声も次第に止んでいく。道端に転がった死骸を集めては積み、集めては積み、やがて形成されていく蝉の城は、季節の終わりの儚さ、切なさを否応に感じさせてくれるが、一般人からすれば単なる気味の悪いゴミの山なので、それとなく子供たちに差し上げる。「昆虫の標本だよ」 誰がどう見ても確実に標本ではない、一見して分かる丸出しの死骸なのだが、彼らは満面の笑みでそれを受け取る。「ありがとう、お兄ちゃん!」 屈託のない、まさに無邪気な笑顔だった。その直後、子供たちは大量の蝉の死骸を投げ付け合うという語るも無残な争いを始めるのだが、それを背に僕は満足気な表情でブックオフへと足を運ぶ。今日の目標はジャングルの王者ターちゃんを全巻読破だ!
それが一昨年の夏だった。
夏の終わり、次第に猛暑も落ち着いていく。随分と過ごし易くなり、颯爽と街に繰り出すのだが、半年以上も切っていない髪は完膚なきまでに伸び切っていて、それはロン毛などというファッショナブルなものでは到底なく、合コンの席に居合わせたら確実に 「最強伝説黒沢!?」 と驚かれるに違いないものであった。喋り上手で人気者の彼に至っては、「人生も黒沢そのものだよね」 と痛烈な言葉を浴びせかけてくるだろう。そんな、中から得体の知れない虫がわさわさと飛び出してきても全く不思議ではない髪型をした僕が街中を歩けば、寄ってくるわ寄ってくるわ、「赤子の手を捻るようなものよ」 とか言いながら本当に赤子の手を捻っちゃいそうな感じの悪そうな人たち。「テンメェエェエェェーー何ニヤついてんだよォォォ!?」 麻雀の役満を和了るところを想像しながらニヤニヤしていただけで、あっという間に人気の少ないところに連れていかれてしまう。「オイコラァアァー! 人の顔見ながらニヤついてんじゃねェゾォオォオォー!?」 まさか役満の想像をしていましたなんて言えるわけもなく、全く悪いことをしていないのに謝ってしまう始末。初期ポップも裸足で逃げ出す究極の雑魚。「タイマンか金、どっちか選べやァアァアァーー!?」 あまりに理不尽。こちとら自慢ではないが体力がなければ財力もないので、心の底から必死に諭す他なし。「殴り合いはどう考えても勝ち目はないので、残るはお金ということになるのですが、大変申し訳ないことに手持ちが一銭もなくて…」 それは本当だった。なけなしの数百円をゲームセンターで浪費した帰りだったので、何をどう逆さに振っても1円玉たりとも出てはこない。さすがに彼らも疑いの眼差しを向けてくるが、無い袖は振れない。「ちょっと財布見せて」 見せます。「…」 「…」 「本当にないんだな…」 さっきまで信じられないほどの発狂振りを見せていたのに、急に冷静な口振りになる悪い人たち。「働いてんの?」 いや…。「お前、ちゃんと働かないと駄目だぞ」 仰る通りです…。「うーん」 「しょうがないから見逃す! 行け!」 えっ、あっ、ありがとうございます。「本当に働けよ!」 泣く子も捻じ伏せる悪い人たちに叱咤激励される始末。身も心も完全にクズ化した瞬間である。
それが昨年の夏だった。
かくして夏の在り方を学んだ今年の僕に例年までの影はない。同じ轍は踏むまい。要するに外の世界には危険がいっぱいなのだ。逆説的に、内の世界には安全がいっぱいということが分かる。ここで単純な二択、危険と安全、どっちを選ぶ? 答えは簡単、自宅最高! 夏のほとんどを自室で過ごし、のそのそとインターネットの世界を徘徊している。有限である時間を物凄い勢いでドブに流していく。寝る前にふと脳裏を過ぎる言葉があるが、黙って押し殺す。それでもニョキニョキと隙間を縫い、はっきりと浮かんでしまうこともある。
このままだと一生童貞だよ。
瞬間、脳味噌が弾け飛び、破片の回収に四苦八苦するはめになるのだが、確実に気付きつつはある。そう、人は人に出会わずして童貞を失うことは叶わないのだ。やらずの二十歳を通り越して既に久しく、最近では諦めにも似た感情を抱いてしまっているが、やはりふとした時に訪れる絶望感は並大抵のものじゃない。いやらしい動画の中で躍動している彼氏はどこか誇らしげだし、時には羨望の眼差しを向けている自分に気付いたりもする。世の中には確実に童貞を卒業出来ている人間がいる。その当然すぎる事実は、内なる心に悲しみを生み出したが、同時に支えでもあった。連中と同じ人間である限り、少なからず僕にもチャンスがあるはずだ。
――以前に一度だけ、そのチャンスが訪れたことがあった。今回はその時のお話。
時は遡って5年前、まるで今日のような夏の終わりだった。当時はパソコンよりも携帯電話遊びが主流で、チャットに入り浸ってはパケット代が3万円を超え、親に激怒されたり、掲示板に書き込みを繰り返してはパケット代が3万円を超え、親に激怒されたり、それ以外にやることとは言っても、近所のブックオフで学校が終わる時間まで漫画を読む、謎の土器屋で土器をなんとなく眺める、などの無為極まりないことばかりで、こうして見ると今とまるで大差ない生き方をしていた。目を見張るべき成長率の低さ。大器晩成すぎて大成する前に死ぬ。
ピロロロロ、ピロロロロ。
ある日、携帯電話の着メロが鳴り響く。恐らくはラルクアンシエルの楽曲だったと思うが、なんとなく伏せたい気持ちになる。それはともかく、着メロの正体は一通のメールだった。送信主は見覚えのない電話番号。なになに…。
「メル友募集しています! 16歳女☆ つい最近、彼氏と別れて寂しいよぅ…。仲良くしてネ!」
(以下メール内容は記憶によるものだが、大筋は合っているはず)
こういった塩梅の内容だった。今でこそ、こんな内容のメールは完全に信用ならない迷惑メール以外の何物でもないが、当時はインターネット環境が整っていなかったせいか、はたまた携帯電話が今ほどの普及率を見せていなかったせいか、あまり迷惑メールという概念がなく、同メーカーの機種同士なら電話番号を入力するだけでメールを送れるということもあり、阿修羅の如く適当に番号を打ち込み、誰彼構わずメル友の募集を行う人も多かった。まさに時代が成せる業。酒池肉林の時代。16歳女という部分にぼんやり犯罪臭はするが、その頃は僕も同じ年齢だったので、どうか許して欲しい。誰に許しを乞っているんだ。
普段はそれとなくスルーするのだが、なんとなく 「彼氏と別れて寂しい」 という部分が気になった。彼氏と別れて寂しいと言うことは、その寂しさを埋めたいということである。その寂しさを埋めたいということは、私の穴を埋めたいということである。ははあなるほど、童貞である僕が愉快な想像を駆け巡らせてしまうことはあまりにも必然、既に脳内ではアフターセックスにまで至っていた。可愛いよ、雅子。
雅子なる謎の女性と一通りのことを楽しんだ後、僕は返信を決意した。断っておきたいが、別にやましい気持ちなんてこれっぽっちもない。純粋に、彼女の寂しさを少しでも埋めてあげたくて、その一心である。やっぱり笑った顔が一番可愛いから…。元気な君が好き…。
「こんにちは! 僕もつい最近に彼女と別れて寂しい毎日を送っています。よろしくね!」
彼女!? 嘘ついた! この童貞、嘘ついちゃったよ! 今の今まで彼女らしい彼女なんていたこともない分際で、よくもまあいけしゃあしゃあと…。時既に遅しだとは思うが、一応弁解をさせてもらうと、この年頃の男の子というのは必要以上に異性を意識する愚かな生き物で、彼女いない歴=年齢だとか、童貞だとか、包茎だとか、そういったことは何があろうとも、例え実の父親が何の前触れもなく内臓を吐き出し始めるというショッキング映像を目の当たりにしたとしても、ひた隠しにしなければいけないことだし、万が一にでも知られた日には、ドラゴンの騎士並に世間から疎まれる存在になってしまう気がしてしまうのである。内臓云々の例え話は明らかに間違えた。陳謝する。とにかく身が裂けようが、金玉袋が裂けようが、知られてはならない。ましてや相手が異性なら尚更だ。
間もなくして返信が返ってきた。
「わあ、ヨロシクね! あたしの名前はまみだよ〜。○○○の女子高生デス! 寂しい仲間だね(笑)」
一体何をヨロシクするんだという思いはあるが、それより何より特筆すべきは、○○○に入る地名が見事に僕が住んでいる地名と一致していたということである。なんという運命。なんという天恵。なんという僥倖。そして注目して欲しい。我々は早くも 「寂しい仲間」 なる関係にまで進展しまったのだ。正直全然意味が分からない上に、実際のところは僕の方は寂しくもなんともないというのが難だが、なかなか心地の良い響きである。寂しい仲間。いつしか互いの寂しさを身体で埋め合う日も近そうだ。僕は全然寂しくないけど。
「マジで! 僕も○○○だよ! 超奇遇ジャン! 超寂しい仲間ジャン!」 (馬鹿すぎる)
「超寂しい仲間だね(笑) 趣味とかある? あたしは音楽をよく聴くヨ! あゆラブ☆」
「僕も音楽は大好きだなあ。レッチリとか、もちろんあゆも!」 (適当すぎる)
「あゆ好きなんだ! どんな曲が好き? あたしは A Song for XX カナ♪」
「あー、あれは身に染みるよね。僕はあれが好きだね。コマーシャルの曲」 (漠然としすぎ)
「Boys & Girls のことカナ? あたしも大好きだよぉ!」 (通じた)
浜崎あゆみを通じて、深まっていく関係。もう僕たちを遮る障害は何もない。ありがとう浜崎あゆみ。こんにちは浜崎あゆみ。さようなら浜崎あゆみ。今度からはちゃんと聴くよ。Boys & Girls をよく聴くよ。
僅か数時間で身も心も許し合う仲になったと言っても何ら過言ではない二人。携帯電話のモニターを見つめながらフッと微笑む彼女、それを想像してニタァーと笑みを浮かべる僕。あまりにも仲睦まじく、もはやアベックと呼んでも差し支えはないだろう。「ヒューヒュー! お熱いねい!」 はは、よせよう雅子! 雅子かよ。
「もし良かったら明日会わない? 一緒にご飯とか食べよう☆」
来た! 来ました! こちらから何も言うわけでもなく、実に自然に出会いの流れに。無論、スタープラチナ並の入力速度で即座に OK の返事を出す。向こうから出会いを持ちかけてきたということは、これ即ち全てを了承した上でのことなのは疑いの余地もないし、「一緒にご飯とか食べようヨ☆」 というのも 「一緒にご飯とか(チンチンとか)食べよう☆」 という解釈で間違いないだろう。さすがに一緒にチンチンを食べることは出来ないが、それはそれである。
約束を明日の20時に取り付け、いよいよを以ってして童貞卒業へのカウントダウンの鐘は鳴り響く。ゴーン。ゴーン。まあ自分の金玉を突付いた時に鳴った音なのだが、その際に気になった点が一つある。金玉のやや上部に注目してみると明らかだが、申し訳なさそうに何かが生えているのが分かる。その何かはまるで国宝かの如くご丁寧に包皮に守られている。国宝ならぬ珍宝。そう、僕は包茎を患っていたのだ。確かに彼女は「一緒にご飯とか(チンチンとか)食べよう☆」 とは言った。いや、よくよく思い出してみると 「チンチン食べたい」 だった気もする。そんな彼女に 「ヘイお待ち!」 とばかりに鉄壁のガードを誇るチンチンを見せた日には、たちまちにして 「どうして本当の姿を見せてくれないの!」 と逆上されてしまうだろう。気分によっては 「剥いても剥いてもチンチンが出てくる(笑)」 と小ネタを披露されてしまうかも知れない。挙句、どさくさ紛れに切断されてしまう恐れすらある。少なくとも気分の良いものではない。
こうなったら強攻策を執る他あるまい。あらかじめチンチンの皮を剥いておき、セロハンテープでガチガチに固定する。その状態をキープして、すやすやと眠りにつく。時にはムニャムニャと寝息も立てるだろう。翌朝、下半身を眺めてみれば、あら不思議! ズールじゃん! という寸法である。要するにズール状態を維持することによって癖を付けようという魂胆だ。我ながら名案、エコルセいらずにも程がある。早速、固定を開始したいと思う。時々陰毛も一緒に貼り付いて、その痛みにキレそうになるものの、概ねは滞りなく進む。いざ尋常に、ズル剥けい! それじゃおやすみ〜〜。
翌朝、あくびもそこそこに目が覚める。いよいよ童貞卒業も夢じゃないわけだから、とてもじゃないが眠りこけている場合じゃない。緊迫した空気が辺りを包む。緊張の色も隠し切れない。若干16歳、ついに出陣の時である。そんな決意を胸に、ふと昨晩のズールミッションを思い出す。「そういえば…」 ガサゴソ。パンツの中を探る。こんなところを家族に見られた日には、その瞬間に舌を噛み切らざるを得ないが、探らずして道はないので探る。
うわあ、すげえ真っ赤。
何故かセロハンテープはボロボロにちぎれ去っていて、肝心のブツはさながらレッドドラゴンのような色になっていた。肝心の包茎の方も1ミクロも解消されておらず、悲しい気持ちでいっぱいになった。どうして…。
しかし泣いていても何も始まらない。今夜の戦いからは逃れられないのだ。万が一イベントが起き得た場合は、なんとか騙し騙しやっていこう、手とかで隠していこう、そう思い直すことに成功した。全く根拠のない上に格好悪いにも程があるポジティブシンキングだが、随分と気は楽になった。何事も気は持ち様である。
19時45分、少し早いが待ち合わせ場所に到着した。そこは待ち合わせスポットとしても非常に有名な場所らしく、周りには血気盛んなカップルがうようよとうろついている。中には僕と同じように人を待つ男性の姿も見受けられる。「お互い大変ですなあ」 心の中でそう呟き、会釈をした。完璧に無視された。まあいい、どうせお前の待ち人はドブスの100乗だろうし、僕の待ち人は絶世の美女だ。またしても根拠の見えない思考展開を繰り広げで、気持ちを落ち着かせる。そうこうしている内に、約束の20時になっていた。
周りを見渡してみても、それらしき人影は見えない。おかしいなあ…。キョロキョロと首を左右に振る僕の姿は、端から見れば異様に気味の悪いものであったに違いないが、背に腹は代えられない。全身全霊の力を込めてキョロキョロする。あまりにもキョロキョロしすぎて終いには首がぐるんぐるん回る奇人へと姿を変えられたなら、就職先も見つかって一石二鳥だったかも知れないが、残念ながら僕は普通の人間なので普通にキョロキョロする。
20時30分、ポツポツと雨が降り始める。サーチアイで近くの雨宿りポイントを察知し、ささっと身を寄せる。少し心配になってきたので、メールで一言 「どうしたの」 と送信。さりげない心遣いが嬉しいね。
20時50分、メール着信。「ごめん、ちょっと元カレがうるさくて…」 どういうことだろう。いきなり家に元彼氏が押しかけてきて、キチガイのように奇声を上げ始めたのだろうか。突如として暗雲が立ち込め始めてきたが、この程度の妨害に屈してはならない。「いや、待っているよ」 送信完了。いつまででも待ち続ける一途な思いに感涙を禁じ得ないね。
21時30分、メール着信。「元カレに行くなって言われちゃった…」 どういうことだろう。元彼氏は元彼氏であり、現彼氏ではないはずだ。むしろ現彼氏への距離は僕の方が近いような気さえする。まだまだ負けない。「いや、待っているよ」 送信完了。だんだん雨足が強くなってきた。晩夏とはいえ、異常とも言える低気温の中、T シャツ一枚でガクガクと震えながら待ち侘びる。
22時。連絡は来ない。もしかしてこれは…。にわかに信じられないような恐ろしい想像が脳裏を駆け巡るが、黙殺する。ドタ…? ドタ…? ドタキャ…? ギャア!! とても自分の口からは言えない! と言うかそもそも、ここまで長い時間待ってしまうのも相当気持ち悪いんじゃないだろうか…。当初の根拠なき自信はガラガラと音を立てて崩れ去り、残るは意地だけとなった。もうここまできたら何が何でも待ってやる。おう、俺はおやつ。諦めの悪い男。手始めに女々しいことばかりを100行ほど書いた長文メールを送信。
22時30分、メール着信。「ごめん…」 なるほどね、どうやらこの子は謝れば何でも許されると思っているようだ。世が世なら人間学園への入園も辞さないが、ここは無頼伝的世界ではないのでそんなものは存在しない。従って、僕自ら再教育の教えを施さねばなるまい。空メールを100通ほど送っておく。無言の弾圧、これほど痛烈なものもなかろうて。
22時50分、メール着信。「許して…」 だんだん悪いことをしているような気がしてきた。よくよく考えてみれば、当初とはまるで趣旨が違ってきている。僕は彼女に嫌がらせをしに来たんじゃない、会いに来たんだ。楽しい一時を過ごそうとやって来たんだ。その瞬間、そこら辺の黒人の顔面の掘りの深さよりも深く反省した。なんてことを…。愚かなことに本来なら守るべきであるはずの彼女を深く傷つけてしまったのだ…。元彼氏に止められて行けなくなった、その事実が全てを表しているじゃないか。彼女も、元彼氏も、まだお互い愛し合っている。そこに僕の介入の余地はない。全てを悟り、そっと一通のメールを送った。
「ごめんね、さよなら」
23時、メール着信。
「って言うか、俺、男なんだ…」
え。
えーーーっっ!?!?!?!?!?!?!?!?
深夜の繁華街で本当に声を出して驚いた。心の底から驚いた。今の今まで待っていたのは、得体の知れない男だったのだ。そんな馬鹿な話があるか!? 昨日楽しくメールのやり取りをした相手が、今まで隠していたけど、ちょっとスケベなメールのやり取りをした相手が、男だって!?!? 僕は男を相手に 「フェラとか好き?」 とか聞いていたのか!? 僕は男の為にセロハンテープを駆使してまで包茎矯正に努めたのか!?!? アギャアァーーーッ!!!!! いっそのこと、ひとおもいに殺してくれ!!!!!!!!!! ついでにネカマ野郎も殺してくれ!!!!!!!!!!
――以上が童貞卒業へのチャンスを感じることの出来た唯一の体験談である。ひどいね。